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◆小田原鋳物ってなに?
”小田原鋳物(おだわらいもの)”というのは、北条時代からはじまった小田原の伝統工芸のひとつ。鋳物の名前の通り、粘土を混ぜた砂で作った型のなかに溶けた金属を流し込んで、鐘、仏鈴、風鈴などの鳴り物や茶器などを作ります。
特に、小田原で鋳られた茶釜は小田原天命釜と呼ばれ、「西の芦屋・東の天命」と絶賛されていました。
◆小田原鋳物って、どこがすごいの?
この小田原鋳物、何がすごいって、こんなところで使われているんです。
- 国会議事堂にて議長が使用する振鈴[東京]
- 新宿御苑の鐘[東京]
※宮内庁が直々に製作依頼に訪れたそう。
- 霧ヶ峰高原・蛙原(げろっぱら)の霧鐘塔(むしょうとう)の鐘[長野]
※ハイカーが霧で迷わないように鳴らします
- 安曇野・碌山美術館の鐘[長野]
- 黒澤明監督の映画「赤ひげ」に登場する風鈴
※数百個を注文し、音色を編集して使ったとか。
日本の政治を動かす国会議事堂や、世界のクロサワに選ばれた”小田原鋳物”。なんだか誇らしい気もしますよね。
◆小田原鋳物の歴史
さて、そんな小田原鋳物の歴史は長く、遠く戦国時代まで遡ることができます。
鎌倉時代より盛んだった相模鋳物は、北条氏2代目当主氏綱により、その本拠地を毛利荘飯山(現厚木市)から3箇所へと移動させられました。そのうちの1箇所が小田原であり、これが小田原鋳物の始まりです。
この時、北条氏の庇護の下小田原に移り住んだ鋳物師の山田治郎左衛門は、小田原の特権鋳物師として名を馳せました。
やがて明治時代になると、鋳物業は衰退。代々山田治郎左衛門の名を受け継ぎ続けた山田家は鋳物業から撤退し、伝統は柏木家へと引き継がれました。
その後柏木家は、柏木晴光氏の代に、砂張りといわれる銅と錫の合金を用いた鳴り物や、圧搾鋳造術を導入し、小田原の鳴り物メーカーとして有名になりました。
世界のシンバルメーカージルジャンに次ぐ、最高品質のシンバルを生産したり、黒澤監督に風鈴の注文を受けたのもこの時期です。
しかし、経営者の高齢化や後継者不足に見舞われ、現在では小田原に残された鋳物の生産工房は柏木美術鋳物研究所のみとなっています。
◆そんな小田原の鋳物、どこに行けば見れるの?
2007年8月23日改稿
小田原の工芸鋳物は現在、生産工房である柏木美術鋳物研究所さんでのお取扱いがあります。
世界のクロサワを魅了した小田原の鋳物、訪ねてみてはいかがでしょうか。
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